#23 吃音プライド / 納得できる難易度設定
2026.01.15(Thu) : RAW-Fi ZINES Newsletterはゲーム/デザイン/マーケティングに関するニュースレターを毎週木曜日に配信しています
『吃音プライド』と話し方の表現
昨年12月に「TOKYO ART BOOK FAIR 2025」に足を運んだ。昨年も訪れたが今年も盛況で、一部のブースが回りきれないほどだった。会場でいくつかのZINEを購入したが、その中に以前このNewsletter(#2)でも紹介したTroublemakersの新刊『吃音プライド』があった。
『吃音プライド』は吃音をもつアイルランド人アーティストのコナー・フォーランによる雑誌『Dysfluent』に掲載された6つのインタビューを日本語翻訳し、まとめた冊子だ。『Dysfluent』のWebサイトでも表現されているように、吃音の特徴である音の繰り返し(連発)や音の引き伸ばし(伸発)、言葉が出ない状態(難発)を編集して整えるのではなく、そのまま文字化することで吃音を「治すべきもの」ではなく「話し方の違い」としてあるがままに捉えられることを目指している。翻訳版である『吃音プライド』では原文のエッセンスを日本語に見事に落とし込まれている。
吃音に対する考え方や、吃音をサポートするコミュニティーで行われている活動についても理解を深めることができた。一方で、私も仕事でインタビューの編集を行うことが多く、「読みやすさ」という大義名分のもと発話者のその人らしさを一方的に削り取っているともいえ、自身の行いを顧みる機会になった。
翻って、テキストや音声を自由に組み合わせることができる総合芸術——ビデオゲームで吃音が表現されているケースはまだまだ少ないように思う。スーパーファミコンのRPG『MOTHER2』では「どせいさん」と呼ばれる種族の話し方の違いを手書き風のフォントで表現するという表現がされていた。
ただ「イノセントな存在」であり「社会に適合できないけれども実は人並みはずれた力を持っている」というどせいさんの設定は、それはそれとしてまた別のステレオタイプな表現でもあることは指摘しておきたいが…と、話が脱線したがゲームなら「話し方の個性」をあるがままに表現できる手法がまだまだあるように思えるのだ。
万人が納得できる難易度設定は存在するのか
「ゲームの難易度設定」は(以前取り上げた黄色いペンキ問題並に)定期的に話題に上がるテーマである。
ゲームの難易度設定が行われているゲームは昨今珍しくない。Xではさまざまな意見が恨み節も含めて語られているが、基本的には「イージーモードはプレイヤーが下手だと馬鹿にされているようで不快」というプレイヤーの心象と、「かといって難しいからとゲームを投げ出されてしまったら本末転倒」というゲーム制作側の都合が衝突して生まれている問題である。プレイヤーのスキルも人それぞれ、結論を言ってしまえば万能の解はない。が、プレイヤーが難易度設定を納得する過程がうまくデザインされているかどうかが大きな鍵を握っているように思う。
私が初めて難易度設定があるゲームに触れたのはパズルゲームの『ぷよぷよ』(1991)だった。次々作『ぷよぷよSUN』(1996)では難易度ごとに主人公となるキャラクターが異なりストーリー展開も変わる演出があり、この時点で既に単純な難易度設定以上の意味づけがされていることがわかる。
『ぷよぷよSUN』のように難易度設定自体に他の目的を結びつけるアプローチとして近年増えているのが、戦闘難易度をグッと下げることでプレイヤーがストーリー進行に集中できることを目的とした「ストーリーモード」という表現だろう。『ファイナルファンタジー16』(2023)では「ストーリーフォーカス」という名称が付けられていた。
また『ファイナルファンタジー16』 ではゲームの難易度をプレイヤーに自主選択させるアプローチとして「バトルアクションをオート化する装備」がある。ゲーム開始時に所持した状態から始まる。自動で攻撃を回避する「オートドッジ」やピンチ時自動回復する「オートポーション」、ワンボタンで適切な攻撃を繰り出してくれる「オートアタック」などを利用するか、プレイヤー自身で選択できる。私は回避のタイミングで時間の進みがゆっくりになる「オートスロー」だけを装備してプレイしていた。個人的には「FFは気持ちいいRPG」だと思っており、オートスローの発動は気持ちよく、そしてカッコいい——なのでこうしたプレイ体験を最大化するという自己演出の意味で装備していた。難易度選択がロールプレイの表現にうまく組み込めている例と言える。
このようにプレイヤーが押し付けではない自己選択ができる、さらにプレイヤーの目的と合致する、というのも良い難易度設定を考える上で重要な観点だろう。だが、高難易度であるにも関わらずそもそも難易度設定が存在しないゲームもまた存在する。
近年のその代表格が『エルデンリング』(2022)であろう。とにかく理不尽なほど敵が強く、罠が満載のダンジョンなど意地悪なステージも多いにも関わらず、難易度設定は用意されていない。ではこのゲームに対してプレイヤーが納得できないか?というとそうでもないと思うのだ。
個人的に『エルデンリング』が上手いのはゲーム導入時の演出である。主人公が置かれた状況が説明されるのだが、なんだかとにかく怖い。これから飛び込む世界が恐ろしい場所であることが嫌というほど突きつけられるのである。
そして主人公を操作できると思ったらいきなり理不尽なほど強いボスと戦わせられる。これはいわゆる「負けイベント」なのでペナルティはない。だがプレイヤーは「とんでもない世界に飛び込んでしまった」という感触を背負ったままプレイを開始することになる。そう、とんでもない世界なのだから、ゲームが難しくて当たり前。どんなアプローチであれ、やはりゲーム側の提示に対して、プレイヤーが「納得できるのか」というのが最も重要なことなのではないだろうか。
ちなみに『エルデンリング』はさまざまな “ズル” ができるようになっているゲームでもある。攻略サイトを見て、そのズルを学び突破する、というのもゲームの体験として織り込まれているのが現代のゲームらしいと言える。
そもそもあの『スーパーマリオブラザーズ』だって、難易度は高いが隠し土管を使った “ズル“ で簡単に最終レベルまでワープすることができた。…と、ここまで書いて、『スーパーマリオブラザーズ』もまた「難易度設定がない」偉大なゲームだったことに気が付かされたのだった。
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